statement

「玄洋社」と「戦争翼賛詩」

 現在、私の芸術活動は2本の柱を中心としています。一つは私が生まれ育った福岡で19世紀末に設立され、敗戦と共に消えた政治結社「玄洋社」をめぐるものです。もう一つは戦時中に多く書かれ、同様に敗戦と共に消えた「戦争翼賛詩」についてです。

 「玄洋社」は1880年前後に福岡で政治結社として設立されました。私の母方の祖父は社員であり、1930年前半に満州に渡り、母はそこで生まれました。敗戦後、一家は福岡に引き揚げましたが、GHQは「玄洋社」をアジア主義のもと日本を戦争に導いた最右翼集団と見なし、社は解散を余儀なくされました。「玄洋社」について祖父母から直接何かを聞いた記憶はありません。しかしその存在は消えてしまったというより、人々の記憶の底に沈んでいるようでした。私は戦後教育を受け「玄洋社」は「危険な集団」という歪なイメージのまま固まってしまいました。それを長い間、私は知ろうともせずに過ごしてきました。しかし数年前より玄洋社の大戦への関与についてリサーチを行っています。

 もう一つのテーマは「戦争翼賛詩」についてです。2020年2月末に、画廊「かんらん舎」代表の大谷芳久氏から戦時中に出版された文芸作品約230冊を譲り受けました。大谷氏は長年にわたり当時出版された詩編資料を収集されてきました。これらの資料は、1938年から1946年の間に出版されました。そして2021年に船木代表の大谷文庫戦時下資料ラボでデータベース化されました。このコレクションには高村光太郎、北原白秋、室生犀星、三好達治など著名詩人による戦争翼賛詩が数多く含まれており、他にも中勘助、金子光晴、瀧口修造、北園克衛、安西冬衛らの名前もあります。

 戦時下資料ラボでは、「繊細な言葉を操る詩人たちが、時局に合わせて戦争翼賛へ唱和していく『変節』の瞬間」と「1945年の敗戦後、戦争翼賛の詩作を消してしまう『変節』の瞬間」という『ふたつの変節』に焦点を当てた研究をしています。詩人の繊細さと戦争翼賛に見られる戦闘的モードは相反し、そこにはある種の創作の「葛藤」が想像されますが、実はどちらも同じ根から派生しているのではないかという議論に深化しています。

 どちらのテーマも、日本の歴史から消えさろうとしています。それは敗戦国日本が消そうとしてきたようにも思えます。これらを即座に排除してしまえば、そこにはポッカリと穴(空洞)が空き、思考停止が起きてしまうのではないでしょうか。このような消し方は何もかもが穴になる可能性があります。私は消されていく事象を表現と繋げることで、穴に立ち戻る場所を形成したいと考えています。

 歴史は一直線ではなく、語る人間、受け取る人間の作意と恣意が混ざりながら何度も問い直され、曲がりくねりながら生成されています。いずれにせよ個人がその混合体から「どのような問いと真実」を見つけ出すか、それが、私にとって芸術活動となっています。