© 2024 Mika Funaki
19世紀末、私が生まれ育った福岡で「玄洋社」という政治結社が創立されました。祖父はその社員で政治家・中野正剛氏の書生をしていました。1943年中野は打倒東条内閣の論説を新聞に発表後、身柄を拘束され割腹による自死を遂げています。
祖父一家は敗戦とともに満州から福岡に引き揚げましたが、GHQは「玄洋社」をアジア主義のもと日本を戦争に導いた最右翼集団と危険視し1946年に解散しました。65年ほど続いた結社はGHQの要請だけでなく、敗戦国日本の時代の空気が「消すこと」を求めたのだと思います。
私は祖父が、玄洋社が戦争とどのように関わったかを明確に知らないまま、否、あえて知ろうとしないまま時を過ごしてきました。近代日本という大きな枠組みと祖父一家の歴史の交差のなかで、偶然が重なりリサーチを始めました。まずは地元の玄洋社研究者や政治関係者へのインタビュー作業からでしたが、実は地域社会の中で私のように身内が玄洋社の関係者だった方も少なくありません。たとえば「南風」で有名な画家和田三造も玄洋社社員でしたし、小説家夢野久作の父親杉山茂丸も社員でした。
このように今は個々の社員たちの面影を集めている段階です。ただ夢野久作の小説にでてくるような「得体のしれない熱量」というのが、私個人が「玄洋社」に抱いているイメージであり、それがどこから来るのかを探っていきたいと思っています。